このページは、「ビジネス日本語研究会の知財を活用した就労者に対する初任日本語教師のための研修普及事業:「就労者に対する日本語教師」への挑戦」武蔵野大学主催(2020年−2022年)の修了者の会のメンバー有志と、BPC研修サービスの協働で作成しています。
多くの企業で外国人就労者の採用時の条件として、N2合格が求められています。また、就労後もインセンティブとしてN2合格を制度化している企業が少なくありません。しかし、「N2」を取得することが就労者および企業にとって業務遂行のためにプラスになるのでしょうか?
BPCでは、第6回公開研究会でこの問題を取り上げました。外国人材に対する日本語研修の現状に詳しい日本語教師たちから、日本語研修の効率アップの鍵として、「N3 +α(アルファ)」という考え方が提案されました。その内容を詳しくレポートします。また、 外国人材の日本語研修を効率化する「N3 +α」の具体例や研修案もご紹介します。
このプロジェクトでは「N3+α」の「α」を明らかにしようとしています。ここでいう「N3」とは「α」をあつかう前提となる日本語力を象徴的に表しています。「JLPTのN3に合格していること」という意味ではありません。
本テーマの大きな課題は、多くの企業が外国人エンジニアに対しN2を求めているということです。ここでは、この課題に対する解決策を考えたいと思います。
まずは、N2を求めることがなぜ問題なのかについて、実際のケースを基に説明します。
Reported by
くらち
外国人エンジニア採用支援事業 株式会社ウイルテック
さとう
大阪在住 日本語教師
こむら
日本語教師 コミュニカ学院
初級学習者と企業における課題に取り組んでいる
登場人物:タムさん
・母国の大学のIT専攻の4年生
・日本のIT企業からすでに内定をもらっている
・真面目で成績優秀だが、日本語は苦手
・まだN3も合格できていない(※N3は卒業条件)
状況:内定先企業から、「入社までにN2を取るように」との指示があった
入社までにN2と言われ、タムさんの負担は大きくなりました。
タムさんの専門は、あくまでもITです。すでに、ITの勉強、インターンシップ、卒業論文、N3合格、日本語コミュニケーションの練習などすべきことは山積みで、これだけでもかなり忙しいはずです。それに加え、N2合格を目指すというのは、並大抵のことではありません。
ここで確認したいのは、タムさんの入社後の日本語使用場面です。
タムさんは、開発者として採用されています。入社後1〜2年の日本語使用場面は、「同僚や先輩、上司との報連相や雑談」という限られた場面であると予想されます。
そんなタムさんが、入社までにN2を取得する必要はあるのでしょうか。もちろん、あるに越したことはありません。しかし、問題は、N2取得にかかる時間と労力と、実際に仕事で活用するN2のスキルや知識が見合っていないのではないかという点です。
そこで、企業が技・人・国(特に技術者)に求めるものを「N3+α」にするというのが、今回の提案です。「N3+α」とは、N2にかける時間や労力を他のスキルの向上に当てるということです。
入社までにN2取得を求められたタムさんですが、本当にN2が必要なのでしょうか。考察にあたり、そもそも「N2」「N3」とはどのようなレベルなのか、まずは日本語能力試験公式ウェブサイト(https://www.jlpt.jp/)の「認定の目安」を見てみたいと思います。
認定の目安によると、「N4・N5」は教室内で学ぶ基本的な日本語、N1・N2については「現実の世界の幅広い場面」での日本語の理解度を測る、とあります。そして、N3については「N1、N2」と「N4,N5」の橋渡し、つまり、「教室と現実の世界との橋渡しのレベル」という、表現で表されています。
また、このレベル認定の目安は「聞く」「読む」という言語行動で表すこととし、その「読む」「聞く」を実現するための文字・語彙・文法等の言語知識が必要としています。具体的な目安としては下の表をご覧ください。
出典:日本語能力試験公式ウェブサイト(http://www.jlpt.jp)
まず、N3は「日常的な場面」で使われる日本語をある程度理解することができる、とあり「読む」「聞く」においても、「日常的な話題」「日常的な場面」で「具体的な内容」を理解できる、というのが認定の目安であることがわかります。そしてN2は、N3の認定の目安である「日常的な場面」に加えて「幅の広い場面」「幅広い話題」の理解が設定の目安とあります。ここでひとつ、注目したいの点は、N2がN3に比べて「レベルが高い」とか「高度な」という表現ではなく、「幅広い」場面・話題という表現を使っていることです。
では、この「幅広い場面・話題」について読んだり書いたりするために求められる言語知識、という点から、まずN2・N3の語彙を比較していきたいと思います。
上の表は「新完全マスター語彙」のN3とN2の学習項目の比較です。まず、項目を比較しただけでも、「報道・広告・災害・産業・法律・歴史・科学・技術」など幅広い分野の語彙が追加されています。また、類似した項目、例えば「人間関係(N3)」「人間(N2)」においても、N3は家族と友達といった範囲での語彙に対してN2は親類・友人・知人にまで範囲が広がっています。具体的には、「祖先」「子孫」「親類」といった使用頻度のそれほど高くない言葉も学習語彙として出てきます。
このように、N2取得のためには幅広い分野の語彙を、しかも各分野においてもより多くの語彙を学習する必要がでてきます。しかし、タムさんのように具体的なポジションや日本語使用場面がわかっている就労予定者にとって「幅広い分野の語彙の学習」が本当に必要でしょうか。むしろ、語彙においては専門用語や就労場面に必要な言葉を学ぶなど「選択し集中していくこと」が必要とされるのではないかと考えられます。
次に、「読むこと」について「公式問題集」の読解の問題を比較してみたいと思います。
どちらも就労場面での指示やお願いの文章を読んで内容を理解する、という問題ですが、2つの間には大きく違う点があります。それは、N3のほうは「黒田課長」が「パクさん」のために書いたものであるのに対して、N2のほうは社員全員に一斉送信されたメールであるという点です。ここからは想像なのですが、おそらく黒田課長は、パクさんが理解できるように、パクさんに合わせて言葉を選んだり言い換えたりしてこのメモを書いたのではないでしょうか。そして、そのような配慮があれば、指示が理解できて適切に行動できる、というのが「N3」のレベルなのではないかと考えられます。
ここで、再度、N3の読解の認定の目安を見てみましょう。
ここにも、難易度の高い文章でも、「言い換え表現を与えれば、要旨を理解することができる。」とあります。
また、N3の読解の問題構成を見てみると、N3の読解については、基本的には「書き下ろしの」読解教材が使われています。今回、考察に使用した「公式問題集第2集」も、すべて、書き下ろした文章でした。
つまり、「N3」のレベルに合わせて、言葉を選び、言い換えた文章であるということです。それに対してN2の読解は、11問中7問が生教材(解説文、エッセイ、評論、説明文)でした。つまり、N2は「日本人と同じ物を読んで理解できる」ことまで求めていると言えます。これについても、果たしてタムさんに、そのレベルまで到達することを求めるのか、という疑問が生じます。
次に「聞くこと」について「公式問題集」の聴解の問題を比較してみたいと思います。
どちらも「同僚または上司に頼まれて、するべきことを理解する」という課題ですが、N3のほうは、まず事情を説明して、順番にやることを依頼していく、という会話の流れになっています。では、N2を見てみましょう。同じように、「次に何をするべきか」を理解するとい問題ですが、男の人はなかなか指示を出してくれません。女の人が先回りして「あれしましょうか。」「これしましょうか。」と提案しますが、なかなかやるべきことを言ってくれなくて、やっと後半で指示が出されます。では、タムさんの実際の就労場面で、どちらで指示が出されるか、おそらくN3のほうではないでしょうか。
ここで、再度、N3の「聴く」の認定の目安を見てみましょう。
このように、具体的にやるべきことを指示されれば、実行できる、というのがN3のレベルだと考えられます。ここでも、タムさんにN2のような複雑な会話の中から指示を聞き取る、という能力まで求めなければいけないのか、という疑問が生じます。
ここで初めの認定の目安に戻りますと、N2では、N3の「日常的な場面」の日本語に加えて、より「幅の広い場面」での日本語が求められていました。このことから考えてみますと、N3からN2というのは、単純にレベルが上がるというよりは場面や話題の幅を拡げる、といったイメージのほうが近いのではないでしょうか。
これは、JLPTが汎用性の高い試験として、学習者にとってそれぞれ異なる「現実の世界」に対応できるよう、幅広い場面での日本語の理解を求めているからだと思います。しかし、タムさんのように、すでに「現実の世界」において方向性が定まっている学習者にとっては、範囲を拡げての学習は、大きな回り道になってしまうのではないでしょうか。
そして、さらに、ここからは、主観的、体感的なものになりますが、タムさんがN2を勉強することの労力と弊害について考えてみました。
まずは、日本人向けに書いた物が読めるようになるための文法、語彙を学習するので、書き言葉・かたい表現が多く、職場での会話で使うことで違和感やミスコミュニケーションが生まれてしまう場合があるという点です。
次に、類似表現が多くなり、その違いや使い分けに多くの時間がとられてしまうこと、そして、そうやって時間をかけて学習したわりには、他のことばで言い換えが可能であるということが挙げられます。実際に今回参考にした「総まとめN2文法」のテキストにおいても、N2の文法はほぼ、N3・N4の文法で言い換えることで説明がされています。
このように、時間をかけて、わざわざ複数の表現を学んだばかりに、本人にとっては混乱したり、また周りから誤解されたりしてしまう、という弊害が生じることもあります。
以上のことから考えると、タムさんの業務遂行能力を上げるためには、必ずしも「N2」が必要だとは言えないのでしょうか。むしろ、ほかの要素があるのではないかと考えます。では、どんな要素が考えられるのか、それをここでは「+α」と呼び、この「+α」としてどんなことがあるか、具体的に検討していきたいと思います。
タムさんの業務遂行能力を上げるためのN2に代わる「N3+α」が提案されました。ここでは、その「+α」を3つの視点から、それぞれヒントになりそうな例をあげてみます。
タムさんのような外国人就労者が今現在持っているコミュニケーション能力を評価することが、+αになると考えられます。以前から「ACTFL-OPI」がありますし、最近では「PROGOS」Japanese という評価方法もあります。これは「日本語を話せる」ことを可視化する新しいオンライン会話テストで、ビジネスシーンに対応したスピーキングテストとなっています。また、企業に日本語教師経験者が入って、企業独自の「○○スタンダード」のような評価ツールを作成する取組みも始まっています。
*「ACTFL-OPI」ACTFL | Japanese
*「PROGOS Japanese」PROGOS Japanese - 「日本語を話せる」を可視化する新しいオンラインテスト
教材について考えてみましょう。ビジネス場面用に作成された動画や教材はすでにありますし、日本語教師の視点からN3レベルでも話せる就労場面でのスクリプト教材作成などが進められています。職種・業種別では、早くから取り組んでいるEPAなどの分野では、すでに国家資格対策教材なども充実していますが、その他の業種においても、各現場に沿った表現や語彙などが順次教材作成されてきているようです。現場から見えてきたことに対応していることが、+αとして捉えることができそうです。
この問題に対応すべく人材育成として、企業内の日本人就労者に研修を行うプログラムなどが実施されています。また、外国人就労者と日本人就労者を別々に研修したり、合同で研修したりとどうすることが現場に生かせるのか工夫されてきています。このような研修は、各企業が単独で実施したり、一般社団法人によってある業種全体に向けて実施したりしています。最近では、日本人就労者対象に「外国人と働くための検定・資格」の案内も見られるようになってきました。このように、企業側が日本人就労者も巻き込んで、タムさんのような外国人就労者へ歩み寄る動きがあります。そして、先ほどのJLPT読解問題のメモ書きのように、日本人就労者の小さい配慮も+αの助けになる行動として位置づけでき、日本語教師の視点から取り組めるものとなるのではないでしょうか。
タムさんや技人国の就労者にただN2取得を要求するのではなく、企業・日本人就労者・日本語教師がかかわリ、他方面からN2に代わるN3+αとなるものを導き出す道筋が見えてきたように思います。
BPC研修サービス
Business Process Communication Training Service
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